「選挙へ行って投票する」ことは...

と思いますか?それとも...

と思いますか?この2択が、本記事で一緒に考えるテーマになります。
\この記事でわかること/ *更新日時:2022年5月24日
「選挙で投票する」を読書で深掘る
なぜ冒頭でいきなり、あんなことを聞いたのか?それは...

と、『7つの習慣』の影響をガッツリ受けたボクは、先日おこなわれた選挙(区議会選)へ行かなかったにも関わらず...

と、後悔の念が湧いて「次に投票できる選挙はちゃんと行こう」と心境の変化があったからです。
本記事では、そんなボクの心境変化に影響を与えた読書を中心に、そのプロセスを一緒に考えていきます。
①「選挙に行くのはコスパ悪い!」と思い込んでいた理由:『7つの習慣』より

という方もいると思うので、簡単に整理しておきましょう。
影響の輪:自分がコントロールできる、すなわち自分が影響を及ぼせる範囲をさす言葉。
関心の輪:自分がコントロールできない、すなわち自分が影響を及ぼせない範囲をさす言葉。
左:「影響の輪」を広げている状態
右:「関心の輪」を広げている状態
↑の定義から、冒頭の質問を言い換えると...
選挙へ行って投票することは、自分の影響力を高めるために必要なのか?
それとも自分の影響力の範囲外に余計な関心を向けているだけなのか?
となります。つまりボクは最初...
「選挙へ行って投票すること」は「自分の影響力の範囲外に余計な関心を向けているだけだ」と判断して選挙に行かなかった
ということになります。

という反骨心を抱いていたから、とも言えます。
もちろん、「『関心の輪』だと思ったから」という理由だけで選挙に行かなかったワケではありません。たとえば...

というよくある世論には、「どうして行くべきなのか?」というWhyの視点が欠けた思考停止な意見にしか聞こえなくて、同調したくありませんでした。また...

という思いも正直ありました。というのも、「選挙へ行って投票する」という行為に支払う時間を考えたときに...
・立候補者がどんな理念の党に所属し、どんな政策を展開しようと宣言しているのか?などを正しい情報源から確認する時間
・「自宅から徒歩だとチョット遠い」けど「バスで行くには運賃がもったいない」というビミョーな距離に設営されることの多い投票所まで、往復する時間
・投票所で並んで待つ時間
これらの時間が意識に入った瞬間、「ムダな時間が世界一嫌い」なボクの性格が投票準備をする手を止めました。
また、↑の時間をかけたからといって、自分が投票した候補者が選ばれるとは限りません。
逆に、自分が投票した候補者が当選したとしても、その人が公約に掲げていた政策を実現しようと努力する保証はどこにもありません。
たとえば、テレビメディアは議会中に爆睡している議員様を特集しては、視聴者の批判を集めて視聴率稼ぎをしています。ああいう姿をみるとボクは...
「選挙演説で数日間必死に大声を出していた割には、当選後の議会では爆睡してしまって国民から批判を買う議員」
という構図は、
「体育のプールではあんなにはしゃいでいた割には、あとの授業でウトウト熟睡してしまって先生に叱られる小中高生」
という構図と、ほとんど一緒だな(笑)

と、いつも思ってみています。
話が少し脱線してしまいましたが、なにが言いたかったのかというと...
「選挙の投票」にいくら時間をかけたからといって、投票した人が当選したり、当選後に健全なままでいる保証はどこにもない
ということです。
こうやって考えると、選挙に行く価値を見い出せなくなってきませんか?
すなわち、「選挙へ行くこと」は『関心の輪』の要素が濃いイベントに思えてきませんか?
ですが...
②「選挙って行かなきゃヤバくね?」と思い始めた理由:『サピエンス全史』+『池上彰の世界の見方 中国・香港・台湾』より
ボクは先ほど
「どうして選挙に行くべきなのか?」というWhyの視点が欠けている
という話をしました。とか偉そうなことを言っておきながら、ボク自身も↑の疑問をあまり考えず、目を逸らしてきました。
そこで、「どうして選挙に行くべきなのか?」ということを、読書や『ゼロ秒思考』を通して考えました(>>『ゼロ秒思考』とは?)。
そして、次の結論に至りました。
選挙に行かないと、今まで自由に感じてきた生活がなくなる可能性を否定できないから
↑の結論に至った理由は『サピエンス全史』に出てくる「虚構(想像上の現実)」という考えに「ハッ」とさせられたからです。
想像上の現実は噓とは違い、誰もがその存在を信じているもので、その共有信念が存続するかぎり、その想像上の現実は社会の中で力を振るい続ける。シュターデル洞窟の彫刻家は、ライオン人間の守護霊の存在を心の底から信じていたかもしれない。魔術師のうちにはペテン師もいるが、ほとんどは神や魔物の存在を本気で信じている。百万長者の大半は、お金や有限責任会社の存在を信じている。人権擁護運動家の大多数が、人権の存在を本当に信じている。二〇一一年に国連がリビア政府に対して自国民の人権を尊重するよう要求したとき、噓をついている人は一人もいなかった──国連も、リビアも、人権も、すべて私たちの豊かな想像力の産物にすぎないのだが。
ユヴァル・ノア・ハラリ. サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福. pp.(59-60). Kindle 版.
よくよく考えてみると、「日本国憲法」は「絶対の最高法規」と言われるますが、正式な手続きを踏めば変えられてしまいます。
日本国憲法第96条
1. この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。*
2. 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
*憲法改正案に対する賛成の投票の数が投票総数(賛成の投票数と反対の投票数を合計した数)の2分の1を超えた場合は、国民の承認があったものみなされる。
この「正式な手続きを踏めば変えられてしまう」という点で日本国憲法も「虚構の一種」と言えるのではないか、と思うのです。
もしも、議員(立法側)全員がその虚構性に気づいてしまえばどうなるか?たとえば...
と思い立ち、「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」が得られれば、自由の制限まであと一歩です。とはいえ...

と思う方もいるはずです。ボクも「そんなのあり得ないか」と思っていました。
ですが、憲法よりも党の決定の方が絶対視されている国家が存在するんです。
しかも、日本の隣に!そう、中国です。
この事実に気づいたのは、『池上彰の世界の見方 中国・香港・台湾』という本を読書したときでした。
中国の政治の仕組みで最も特徴的なのは、憲法の上に中国共産党が存在しているところです。普通の民主主義国ではどうか。たとえば日本では、日本国憲法がいちばん上にあって、憲法がいちばん大切なものです。その下にいろんな政治制度があって、三権分立になっている。そして国家公務員は必ず憲法を守らなければいけないと、それも憲法に書いてあります。天皇陛下の地位は日本国憲法に規定されていますし、天皇陛下も憲法を守ります、と言っています。ですから日本の政党もすべて憲法の下で政治活動をしているわけですね。これがいわゆる民主主義のかたちです。
ところが中国では、中華人民共和国憲法に「中国共産党の指導に従う」と定められています。まず中国共産党があって、その下に憲法が存在する。つまり憲法をどう解釈するかは共産党が決めているのです(図表⑤ )。
中華人民共和国憲法を読むと、中国の公民(国民)は、言論の自由、表現の自由、結社の自由(政党をつくる自由)すべてが認められています。
1998年、中国民主党という政党がつくられたことがあります。しかし結党してすぐに全員逮捕され、その人たちはいまだに刑務所に入っています。
おかしいと思いませんか。憲法には、結社の自由を認めているにもかかわらず、なぜそういうことが起こるのか。憲法が守られていないのではなく、憲法をどう解釈するかは、共産党が決めているからということなんですね。そのほかにも結党した政党がありますが、いずれも当局の弾圧を受けています。
池上彰. 池上彰の世界の見方 中国・香港・台湾 (p.64-66). Kindle 版.
衝撃的な内容すぎて、ボクなんて池上彰さんの本をKindle Paperwhiteで読んでいるときに端末を落としそうになりました。
話を戻すと...
こうした海外事例を立法側が取り入れようとしたら、日本も中国のように個人の自由が徹底的に制限される可能性だって否定できない
というワケです。
これを防ぐためにはどうすればいいか?
そう、それこそが「選挙で投票する」というシンプルなアクションになるわけです。
憲法改正も国民の意向を「選挙」によって確認するシステムが ”今のところ” 確立されています。
以上を踏まえると...
投票権が認められているあいだは少なくとも、自分たちの自由を「選挙」によって確保していく必要がある
と、心から納得することができるようになってくるはずです。
こうして、「選挙は影響力の範囲外だ!」と思っていたボクは自分の浅慮に気づいていきます...
③「次の選挙はちゃんと行きます」と心境が変わった理由:『嫌われる勇気』より
自分は投票権があるのに選挙に行かなかった、つまり...
自分の自由を「選挙」によって確保する行為を放棄した
という事実を、ついにボクは恥じるようになります。
これにトドメを刺したのが、『嫌われる勇気』の「人生の嘘」という発想でした。
アドラーは、さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態を指して、「人生の嘘」と呼びました。
(中略)
彼ら(ワーカホリックの人)は「仕事が忙しいから家庭を顧みる余裕がない」と弁明するでしょう。しかし、これは人生の嘘です。仕事を口実に、他の責任を回避しようとしているにすぎません。本来は家事にも、子育てにも、あるいは友人との交友や趣味にも、すべてに関心を寄せるべきであって、どこかが突出した生き方などアドラーは認めません。
岸見 一郎,古賀 史健. 嫌われる勇気 (p.104, 216). Kindle 版.
つまり、ボクは本来関心を寄せるべきだった「選挙で投票すること」を見て見ぬふりをし、「人生の嘘」をついていたのです。
たしかに、「選挙に行ったってどうせ...」と考えれば、投票することは『関心の輪』と思えるかもしれません。
ですが、「選挙に行かないと、自分たちの自由な活動が制限される可能性がゼロではない」と考えると、投票することは『影響の輪』として目に映るはずです。
幸か不幸か、ボクはこの事実に大学生のうちに気づくことができました。
なので、今後は「選挙で投票すること = 『影響の輪』」と心から納得して、一票を投じていきたいと思います。
本記事に登場する書籍を無料で読む方法
ここでは、本記事に登場する書籍を無料で読める方法を調べてまとめたので、参考にしてください。(更新日:2022年5月24日)
書籍名 / 配信サービス | Audible | Kindle Unlimited |
---|---|---|
7つの習慣 | ❌ | ❌ |
サピエンス全史 | ⭕️ (会員ならば無料という意味) |
❌ |
池上彰の世界の見方 中国・香港・台湾 | ⭕️ | ❌ |
嫌われる勇気 | ❌ | ❌ |
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まとめ
- 選挙に行くのは『関心の輪』だと思い、投票を放棄した。
- 「虚構」や「海外事例」を考慮すると、投票することの大切さがわかる。
- 投票を放棄することは最終的に『影響の輪』を狭めることにつながる。

ここまで読んでくださってありがとうございます。
少しでも参考になれば、そしてあなたが『影響の輪』や『関心の輪』を生活に取り入れるきっかけになれば、何よりも嬉しく思います。
また次回の記事でお会いしましょう!
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